第2回目となる「日本が誇る監督名作特集」。今回は主に60年代~90年代を中心に内外で活躍してきた監督とその代表作を紹介してきます!
日本映画のニューウェーブ!大島渚『愛のコリーダ』(1976年)
日本映画界に新風を巻き起こし、最後まで挑戦し続けた大島渚を紹介します。
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常に革新的な映画に挑んだ松竹ヌーベルヴァーグのリーダー大島渚
大島渚は1932年生まれ。岡山県出身。享年80歳。
京都大学卒業後、松竹へ入社。デビュー作のタイトル変更に伴う会社との意見の相違や安保闘争を描いた『日本の夜と霧』を会社が無断で上映打ち切りにしたことなどがあり退社することに。
その後はテレビの世界にも進出しドキュメンタリーに挑戦、常に表現の自由を模索し多くの名作を残した監督です。
日仏合作のセンセーショナルな問題作!『愛のコリーダ』
フランスからオファーを受け日仏合作映画として製作されたのが『愛のコリーダ』です。昭和史に残る「阿部定事件」をモチーフに、藤竜也と松田暎子が無修正の性的シーンを演じ問題となった話題作。
日本での公開時には大幅な修正を余儀なくされました。賞こそは逃しましたが、カンヌ映画祭を始め各国でも話題に。2000年には「完全ノーカット版」として上映されました。
※R-18指定となっております。
確かな演出に卓越した映像美!篠田正浩『少年時代』(1990年)
松竹ヌーベルヴァーグの一人でもある篠田正浩を紹介します!
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引退後もなお愛され続ける篠田正浩
篠田正浩は1931年生まれ。岐阜県出身。
1960年代にかけて松竹ヌーベルヴァーグの旗手と呼ばれましたが、その後フリーとなり表現社を設立。幅広いジャンルの作品を作り続けています。
篠田が1971年に監督した遠藤周作原作の『沈黙 SILENCE』を2016年マーティン・スコセッシが再度、映画化しました。その時、最初に映画化した監督として海外でも取り上げられ篠田作品が再評価されることに。
2003年に製作された『スパイ・ゾルゲ』を最後に映画監督は引退。その後、2019年現在、執筆活動など精力的に行っています。
30以上の数々の賞に輝いた不朽の名作『少年時代』
『少年時代』は藤子不二雄Aが週刊マガジンに連載していましたが、原作は柏原兵三の小説「長い道」。日本アカデミー賞ほか30部門以上の映画賞を受賞しました。
太平洋戦争末期、東京から富山に疎開した少年とそこで出会った少年との友情を描いた物語。井上陽水が担当した主題歌は今なお歌い継がれている名曲です。
日本の独立系映画の立役者・新藤兼人『午後の遺言状』(1995年)
常に問題意識を持ちながら映画を作り続けた新藤兼人を紹介します。
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遅咲きの巨匠・新藤兼人とは?
新藤兼人は1912年生まれ。広島県出身。享年100歳。
映画監督を目指し京都の新興キネマへ。そこからさまざまなスタッフを転々とし脚本家デビューを果たし、370本以上の脚本を担当。溝口健二や木下恵介などの監督作品にも参加しています。
39歳にしてようやく『愛妻物語』で監督デビューすることに。以降、監督としては社会派作品、性のタブーへの挑戦など常に問題意識を持ちながら映画作りを続けました。
人間の“老い”について考える『午後の遺言状』
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新藤兼人が80歳を過ぎてから監督したのが『午後の遺言状』です。出演陣も豪華で、主演に日本を代表する新劇女優・杉村春子、新藤の妻・音羽信子、45年振りの映画出演となる朝霧鏡子などがそろい、音羽信子は本作が遺作となりました。
このタイトルの意味は、「人間は60歳を過ぎたら自分の人生を総括し遺言を残さなければいけない」という新藤の信念によるもの。製作当初はそこまでのヒットは予想されていなかったようですが、大ヒットを収め国内外の映画賞を受賞した作品となったのです。
日本で唯一2度のカンヌ受賞を果たした今村昌平『うなぎ』(1997年)
1983年の『楢山節考』と1997年の『うなぎ』でカンヌ国際映画祭パルム・ドール
受賞の快挙を遂げた今村昌平を紹介します。
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演劇少年から映画監督へ 今村昌平とは?
1926年生まれ。東京都出身。享年79歳。
幼い頃から芸術が好きで、早稲田大学在学中には「学生演劇」を立ち上げるほどでした。そんな中、黒澤明監督の『酔いどれ天使』をみて映画監督を志します。
そのため、松竹大船撮影所に入社。『盗まれた欲情』で監督デビューしてからは今村ならではの独特なタッチで作品を作っていくのでした。
そしてまた、映画業界における教育にも力を入れようと映画学校(現日本映画学校)を作ります。農村実習など独特なカリキュラムで若い人材を育ててきました。卒業生に三池崇史監督などがいます。
独特のユーモアで描く人間模様『うなぎ』
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妻の不倫を目撃し殺害してしまった男が仮出所後、心を開くことができたのはペットのうなぎだけ。そんな時、出会った自殺を図った女。二人の心の交流を描いた物語です。
吉村昭の小説「闇のひらめく」が原作。当初、映画も原作と同タイトルにするはずでしたが、今村の希望により『うなぎ』となりました。
また、本作は今村監督2度目のカンヌ国際映画祭でのパルム・ドール受賞作として内外で話題となったのは言うまでもありません
「清順美学」と呼ばれる美意識を持ち合わせた鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)
アバンギャルドな作風で知られ世界中の監督たちに強い影響を与えた鈴木清順を紹介します。
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熱烈な支持を持つ映画界の異端児・鈴木清順とは?
1923年生まれ。東京都出身。本名は清太郎。享年93歳。
鈴木清順は当初、松竹大船撮影所へ入社するも数年後には日活へ移籍。そこで本名の清太郎として監督デビューを果たします。
その後、鈴木清順と改名し作品を作り続けるも、『殺しの烙印』が社長の怒りを買ってしまい日活を追われてしまいます。しなしながら、業界内に多数いる鈴木の支持者により製作された『ツィゴイネルワイゼン』が高く評価され世界的に知られる監督となりました。
また一時期はその愛すべきキャラクターにより鈴木清順のカメオ出演が流行り、映画やドラマなど数多くの作品に出演もしています。
「清順美学」ここにあり!『ツィゴイネルワイゼン』
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『ツィゴイネルワイゼン』は内田百閒の「サラサーテの盤」やいくつかの短編小説を組み合わせ脚色された作品。清順組には欠かせない原田芳雄を主演に迎え、サラサーテ作曲「ツィゴイネルワイゼン」のSPレコードを取り巻く、奇妙で妖艶な4人の男女の世界を描いています。
ベルリン国際映画祭審査員特別賞や日本アカデミー賞最優秀作品賞など、国内外で認められる作品となりました。
日本を代表するフィルムメーカーカー山田洋次『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)
『男はつらいよ』シリーズなど人情味溢れる作品を得意とする山田洋次を紹介します。
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家族と通して人間の幸せを描く山田洋次とは?
1931年生まれ。大阪府出身。
1954年に助監督として松竹に入社し、『二階の他人』で監督デビュー。大ヒットシリーズ『男はつらいよ』を始め数々のヒット作を生み出します。
幼い頃からこよなく愛した落語に強く影響を受けたため、山田作品は人間ドラマを中心にユーモアをもって描かれることが多々あります。渥美清演じる『男はつらいよ』の“寅さん”というキャラクターもそこからきているのでしょう。
今なお現役で映画を作り続けています。
ロードムービーの傑作!『幸福の黄色いハンカチ』
(C)1977,2010 松竹株式会社
「ニューヨーク・ポスト」にピート・ハミルが寄稿したコラムが元になっているロードムービー。刑務所から出所した男が偶然出会った男女と共に、愛しい妻のもとへ向かうのですが……。
山田洋次が大のファンということもあり主演に高倉健を迎えました。共演は倍賞千恵子、若かりし頃の武田鉄也や桃井かおりなども出演し今でこそ豪華キャストです。
(C)1977,2010 松竹株式会社
ラストシーンは圧巻です!同時に涙なくしてはみれません。数ある山田作品も中でもぜひ一度は鑑賞してほしい一作です。
常に良作を生み出し続ける小栗康平『泥の河』(1981年)
国際的評価も名高い小栗康平を紹介します。
日本人として生きること問い続ける監督・小栗康平とは?
1945年生まれ。群馬県出身。
大学卒業後、ピンク映画の世界に入り助監督など務めます。1981年、宮本輝原作の『泥の河』で監督デビュー。当初、宮本輝はまだデビューもしていない小栗監督の熱意に才能を感じ、原作を渡したといいます。
その後も少しずつ作品を発表していきますが、フランスのジョルジュ・サドゥール賞、カンヌ国際映画祭グランプリ・カンヌ1990、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞、モントリオール映画祭審査員特別大賞など受賞し国外での評価も高い監督として知られています。
監督人生38年にして作品数は実に7本のみ。常にこだわり続けた結果だと本人はいいます。
2019年今なお現役で映画作りを続けている監督です。
戦後日本の現状を映し出す珠玉の作品『泥の河』
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『泥の河』は宮本輝の処女作『蛍川』に収録した作品を脚色。昭和30年の大阪を舞台に安部川の河口で暮らす少年少女の交流を描いた物語です。
モノクロ・スタンダートで描くことでより作品の世界観を深めています。戦後の復興に向かう日本に続く貧困について、戦後生まれの監督だからこそ作りたかった作品だといいます。
デビュー作にして、国内外でも高く評価され、モスクワ映画祭銀賞やアメリカ・アカデミー賞の外国語映画へノミネートなどの実績を残しました。
(2019年10月現在の情報です。詳しい情報は公式サイトでご確認ください。)