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揺らぎ続けるセカイと心。映像作家「庵野秀明」の世界。

先日、日本中を衝撃のニュースが駆け抜けた。日本を代表する特撮シリーズ「ウルトラマン」。

その新たな作品に「エヴァンゲリオン」や「シン・ゴジラ」で知られるクリエイター、庵野秀明が参加するというのだ。

シン・ゴジラ(C)2016 TOHO CO.,LTD.

「シン・ウルトラマン」と銘打たれた本作の詳細は未だ明らかになっていないが、2020年にはエヴァ完結編となる「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の公開が予定されているなど、複数の作品が話題を呼んでいる庵野秀明。

本コラムでは、同氏の今までのフィルモグラフィを振り返ると共に、今一度、庵野秀明という人物の作家性に迫っていこうと思う。

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「超一流アニメーター」から「名監督」に、そして「迷監督」へ。栄光と挫折のキャリアを振り返る。

まずは作家、庵野秀明の作品群を振り返ってみよう。アニメ作家としての同氏のキャリアはアニメーター時代から始まる。

スタジオジブリ作品「風の谷のナウシカ」では、本作を鑑賞した誰しもに強烈な印象を残す怪物「巨神兵」の登場カットを担当。

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作画枚数を巡って宮崎駿に反感を抱くなど、(曰く、「(完成したカットを見て)ミヤさんの言う事は聞かない方がいいと思った」)早くから大物の風格を漂わせていたようである。

学生時代からの友人達とアニメーション製作会社「GAINAX」にアニメーターとして在籍していた頃の、若かりし庵野秀明の仕事と言えば、有名なのは「王立宇宙軍 オネアミスの翼」のロケット発射シーンだろう。

ブースターが点火されると共に、噴煙が辺りを覆い尽くし、轟音と共にゆっくりと上昇を始めるロケット。超低温状態でタンクに詰められた液体燃料によってロケット表面は凍結し、無数の氷が張り付いている。その氷が発射の振動によって振るい落とされ、続々と地上に舞い落ちていく。

庵野秀明はその舞い落ち、砕け散る無数の氷を全て”手書き”で表現して見せたのである。

異常な執着心とも取れる徹底したリアリズムの描写には、思わず手書きであるという事実を疑わせるほどの迫力が宿っている。

余談だが、庵野を含めた創立メンバー達のそうした凝り性ぶりが災いしてか、GAINAXの経営は常に圧迫されていたようである・・・。

80年代後半、GAINAXは借金返済の為、商業的にウケやすい要素(オタクが喜ぶ要素)をメガ盛りしたOVA作品「トップをねらえ!」を製作。同作において、庵野秀明は監督としてデビューすることになる。

その後も、NHK製作の「ふしぎの海のナディア」で監督を務めるなど、アニメーターとしてではなく監督として作品を世に送り出すようになって行く。

そして、時は1995年。「新世紀エヴァンゲリオン」が製作される事となる。

言わずと知れた出世作「新世紀エヴァンゲリオン」

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q (C)カラー

庵野秀明と聞けば、その名を知っている者の脳裏に浮かぶのは、まず「新世紀エヴァンゲリオン」だろう。

「機動戦士ガンダム」以降、アニメ表現においての一大ジャンルとして君臨していたロボットという題材を、複雑で難解な世界観と内省的な展開で描いた異色作たる本作。

それまでのアニメ作品には度々見られたステレオタイプな人間像を徹底して排除。清濁併せ持つリアルな人物描写が深淵なストーリーに組み込まれる事で、「エヴァ」は社会現象をも巻き起こす人気作となった。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q (C)カラー

TVアニメ版で一度は終結を見るものの、その意味不明なオチにファンからの批判が殺到。劇場版の製作を発表し、最終二話を作り直すという異常事態にまで発展する事となった。

作り直された最終二話「Air/まごころを、君に」の仕上がりもアニメーションの素晴らしさとは裏腹に、難解、悪趣味を極めた内容になっており、端々に監督本人へ向けられたバッシングをそのまま反映するなど、良い意味でも悪い意味でも、自意識の強い作品になってしまった。

しかし、その後も「エヴァ」人気は収まらず、パチンコ化による収益を基に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズが製作されることになるなど、本作は名実共に庵野秀明の代表作となった。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q (C)カラー

自己内省からのブレイクスルー「シン・ゴジラ」

「エヴァ」の商業的成功は必ずしも作り手たる庵野秀明の成功とはならなかった。

新劇場版の三作目となる「Q」で、再び自意識の迷路に迷い込んでしまった庵野氏は、最終作となる「シン・エヴァ」の製作を完全にストップし、事実上の休養期に入る事となる。

ストレスから精神疾患に陥り、スタジオに近付く事すら困難になった庵野氏に声を掛けたのは旧知の同業者達であった。

恩師である宮崎駿は、自身の進退と共に発表した傑作「風立ちぬ」にて、主演声優として庵野氏を抜擢。

そして、学生時代からの盟友、樋口真嗣(映画監督)は東宝の大スター「ゴジラ」の新作に庵野氏を勧誘。初めこそ、「エヴァを作らなきゃ・・・」と渋っていた庵野氏であったが、樋口氏による再三の説得で、遂に総監督として製作に参加。

そうして発表された大傑作「シン・ゴジラ」は、公開初週から話題沸騰の人気作となり、同時期の人気作「君の名は。」と並んでその年を代表する映画となった。

本作を見てみると、どことなく「エヴァ」を彷彿とさせるような会話や演出が登場するが、その実、「エヴァ」に見られたような内省的なセリフやモノローグは一切排されている。

淡々とも取れるようなテンションで早口&長文&専門的セリフの応酬が続き、極め付けはあのセリフ。

「私は好きにした、君らも好きにしろ」である。

シン・ゴジラ(C)2016 TOHO CO.,LTD.

過去作では、自身に向けられたバッシングや批判に過剰に反応しているように見えた庵野氏がこうした”開き直り”ともとれるセリフを脚本に組み込んだという事には、大きな意味がある。

事実、先述の「Q」では、主人公シンジの置かれている状況や周囲からの反応が、そのまま「エヴァ」の監督としての庵野氏の立場に代入出来るようなものとなっていて、「やれ、やれと言われたから従ったのに、結果が芳しくないと見るや総叩き」という「Q」の登場人物達の行動は、世間の庵野監督への態度に酷似していると言っていい。

このように、常に「他人と自分とのギャップ」を題材に物語を語ってきた庵野氏が、「シン・ゴジラ」では遂に、「世間は世間。俺は作りたいものを作るだけだ」と言うかのようなメッセージを発信して見せたのだから、この変化は庵野氏の今後を語る上で、とても大きな転換点となる事だろう。

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人間「庵野秀明」の実像と、その作家性に迫る。

ここからは庵野秀明氏の作品から読み解ける作家性に着目し、庵野氏が作品を通して表現して来たテーマや価値観の変遷を追って行きたいと思う。

極度の偏食嗜好から見える、有機物への嫌悪感。

庵野秀明という人物の人となりを象徴するエピソードとして、ファンの間で度々話題になるのが、極度の偏食家であるというものだ。

肉はおろか、魚も野菜も好まないという特異な嗜好を持つ庵野氏だが、ヴィーガンやベジタリアンとは違い、彼の根本にあるのは信仰でも、博愛でも、独自の健康志向でも無い。

ただ一重に、生命体への嫌悪である。庵野氏にとって、食卓に配膳される肉や魚などの動物食品は全て、”死体”にしか見えないのだと言う。

監督として製作した作品「ふしぎの海のナディア」では、タイトルロールにもなっているヒロイン、ナディアが庵野氏のそうした食嗜好を体現したキャラクターになっている。

ナディアは、幼少期からサーカスで動物と共に育った為、動物食の一切を受け付けないという博愛主義的な思想のキャラクターだが、モデルとなった庵野氏のその他の作品を見ていると、とても庵野氏の偏食の根底にあるものが博愛主義だとは思えない。

「新世紀エヴァンゲリオン」第一話で登場する敵、第三使徒サキエルに着目して見よう。人型の細長い体躯と頭部の仮面に思わず目が行きがちだが、ここで注目して頂きたいのは腰の部分だ。

魚のようなエラが左右両方の腰部にあるのが見てとれる。劇中でも、このエラが呼吸をするかのように脈動するカットがあるが、このカット、ハッキリ言ってとても気持ちが悪い。

開かれたエラの内部には無数のヒダがひしめきあう様が描写されていて、シンプルなフォルムの使徒ながら、この部分だけが突出して生物的で気味が悪いのである。

「シン・ゴジラ」でも、蒲田上陸時のゴジラ第二形態に同様のエラがあるのが見て取れる。こちらでは、ゴジラが蛇行する度に赤黒い血のような液体を周囲に撒き散らし、歩行と連動してブルブルと揺れる様が描かれていて、サキエルと同じくとても気持ちが悪いシーンとなっている。

庵野作品に登場するクリーチャーには、こうした生々しい生物感のディティールが随所に散りばめられていて、作り手の生命体への視線がどことなく伺える。生物の生態が覗けるような独特の構造や仕組みに潜む気味の悪さを絶妙に拾い上げて来る庵野氏の視線には、極度の偏食にも繋がる生命体への嫌悪感があるのだろう。

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徹底されたリアリズムから見える、無機物への愛好。

先ほどは庵野作品に登場する生命への嫌悪感に着目したが、ここからはその逆、機械や建築物などの無機物に着目して行きたい。

先述した「王立宇宙軍 オネアミスの翼」に代表されるように、庵野氏の手掛けた作品は全て異常なまでに徹底されたリアリズムで構成されている。

中でも特に顕著なのは、機械や建築物などの描写だ。内部構造や装置の動作機構などの描写をするにあたって、実在の機械を観察、考察をする事で架空の機械に対し「それが本当にあったとするならどのように稼働するのか?」を追求している。

監督を務めた「トップをねらえ!」では、劇中、主人公が搭乗するロボットの頭部に無数の電子回路とコードが張り巡らされ、さながら脳のシワのように表現されている図がある。

「新世紀エヴァンゲリオン」では、未知の生命体すらも科学技術に対応させるというSFならではの設定を採用してはいるが、細部の動作機構や設計に関しては、全て実在の技術の応用又は進化系のような仕組みであると設定されている。

こうしたリアリズムへの徹底的な配慮があってこそ、作中で登場する架空の物理法則や概念にも一定の説得力が生じるのである。

庵野氏の作品に度々、象徴的に登場するのが都市の風景だ。

電柱や高架線、鉄道網や高層ビル郡など、我々の生活基盤を支える幾つもの無機物に対して、庵野氏は時折、強い執着を滲ませる事がある。

先日、公開された「シン・エヴァ」の冒頭映像でも、エッフェル塔をアクションシーンの重要なキーアイテムとして使用するなど、庵野氏の中で建物や機械というのは特別な意味を持つ物のようだ。

「かっこいい」そんな言葉とともに、建造物や機械について語る庵野氏の姿は様々なインタビュー映像の中に確認できる。

地元商店街の賑わう様子を尻目に、その頭上のキャットウォークに憧れていたと語るなど、庵野氏にとって、整然と築き上げられた都市の風景は人並みの生々しさを忘れさせてくれる風景だったのかも知れない。

「不安定」な存在。

セカイ系。その言葉も庵野秀明の多大な影響下にある。自分と、その周りの世界という内に閉じた内省的な世界観の作品郡はしばしば「エヴァ」と比較され、セカイ系というキーワード共に語られて来たのだ。

ここからは、庵野氏の作品は如何にして内省的世界観を構築していったのか、その感情の源泉を探って行きたい。

「ナウシカ」製作時、庵野秀明はある”挫折”を味わった。人が描けないのである。勿論、巨神兵の登場カットを手掛けたくらいだ。画力が低い訳では決してない。

しかし、当時の庵野氏にとって人物画は難題であった。何故ならば、庵野氏には人間を描くという事への興味関心が殆どなかったからである。学生時代に手掛けた自主制作のアニメを見てみても、庵野氏のモチベーションが兵器や建造物などの無機物ばかりに向いているのが見て取れる。

庵野秀明とは、とどのつまりそういう人物だったのである。

人間というものへの興味関心があまりなく、もっぱらロボットや兵器、建造物に憧れるような青年だった庵野氏にとって、その後のキャリアのように監督としてストーリーも含めた作品作り全体に関わっていく事は大変なストレスだったろう。だからこそ、精神的な衰弱を経験してしまうまでに自分を追い込んでしまったのだ。

しかし、先述したように「新世紀エヴァンゲリオン」が当時、あれだけの人気と共に世間に浸透していった裏には、”圧倒的なまでにリアル”な人物描写がある。その現実感、実在感が子供向けの見せ物という偏見を打ち破り、多くの視聴者をテレビ画面に釘付けにさせたのである。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q (C)カラー

他人への興味が薄く、人間を描く事ができなかった筈の庵野氏がどのようにして、リアルな人物を描く事に成功したのだろうか。

その答えはシンプルである。

「人の醜さや身勝手さ、分かり合う事の困難さ」という、自身が人に興味を示せなかった原因とも呼べる物事を作品内にぶちまけたからである。

ヒトではないものへの憧れを胸に、ヒトの中をどうにか生きて来た庵野氏だからこそ描く事が出来た、人間の負の実像がそこにはあったのだ。

作中、主人公のシンジは自身を取り巻く他人やセカイの中に、自分の居場所や価値を見出そうと苦悩する。

他人の要求に唯々諾々と従う事で好かれようと、認められようと模索するのだが、その先に待つのは残酷で不本意な出来事ばかりだ。

そうしたセカイの中で、シンジは次第に自分の在り方を見失っていく。

庵野氏は、いじめ問題について問われたインタビューの中で、自身の学生時代を振り返りこう発言している。

「勉強もそこそこ出来て、偽善的な優等生だった」と。

シンジの他人に認められようと、必要とされようとする姿は、学生時代の庵野氏の姿そのままなのではないだろうか。

庵野氏もまた、シンジと同じようにそうした自己矛盾の先で傷付いた経験があるのではないかと思わずにはいられない。彼の生み出した「エヴァ」というセカイは、煩悶し続けた自身の思春期の合わせ鏡なのだろう。

庵野氏はそうした思春期の暗闇をアニメや特撮などの虚構、兵器や建造物などの無機物への愛好で乗り越えて来た。

そんな庵野氏の人生は正に、「エヴァンゲリオン」という制御不能な兵器、「シン・ゴジラ」という危うい生態構造の怪物、

「ガンバスター(トップをねらえ!)」という未完成のロボット、「アトランティス人の超文明(ふしぎの海のナディア)」という使い方一つで世界を滅ぼしかねない技術、に象徴されているように、「崩壊寸前を揺らぎ続ける」日々だったのだ。

そう考えると、庵野氏の作品群に通底するテーマや世界観にも納得が行く。

庵野氏の作家性とはつまり「不安定さ」にある。自身が人間であるからこそ、思いを託して描き続ける架空の兵器や怪物もそうした揺らぎを否応無く継承している。揺らぎながら、それでもどうにかバランスを保って生きて行こうとする庵野氏の人間性こそが、彼の作品をスリリングかつ奥深くしているのだろう。

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(2019年9月現在の情報です。詳しい情報は公式サイトでご確認ください。)