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大泉洋も出演していた、伝説のバラエティ『水曜どうでしょう』

本コラムは北海道テレビから生まれたカルトバラエティ「水曜どうでしょう」をご紹介するコラムです。

今や全国区となったタレント大泉洋を発掘した事でも知られる本作の魅力を余すところなく語って行きたいと思います。

水曜どうでしょう サイコロの旅 ノート出典:https://www.amazon.co.jp/

サイコロで目的地を決める!?日本一バカな旅番組!

まずは「水曜どうでしょう」の簡単な概要と、代名詞とも言える名物企画「サイコロの旅」についてご紹介いたします!

なんとかインチキ出来んのか?全てが分からん無謀な旅!

水曜どうでしょう サイコロの旅 出典:https://www.amazon.co.jp/

本作「水曜どうでしょう」は北海道テレビの深夜枠において放送されたテレビ番組。

ディレクター二名とタレント二名の計四名がレギュラー出演し、毎度のごとく体当たりな企画に挑んで行く様に次第に人気が集まり、今やHTB最大の人気番組となりました。

テレビ番組とは到底思えない行き当たりばったりなディレクションにタレント陣が激怒する様ですら様式美としてファンの語り草になるという異質な番組作りが特徴で、旅番組と銘打っているのにも関わらず映っているのは喧嘩ばかり。

無名の新人であったにも関わらず当時からキレッキレの舌鋒を発揮する大泉洋のウィットに富んだボヤキ芸も本作ならではの魅力で、今では絶対に放送不可能だろうと思われるコンプライアンスギリギリな名企画の数々がそのボヤキ芸を加速させる奇妙な相乗効果を生んでいるのです。

ご存知!「サイコロの旅」

水曜どうでしょう サイコロの旅 出典:https://www.amazon.co.jp/

東京をスタート地点に、ディレクター陣が無作為に選んだ目的地へ休みなく移動し続けるという拷問のような企画です。

目的地と移動手段には六つの選択肢が用意されているのですが、それを決めるのはなんとサイコロの目。

移動してサイコロを振り、また移動してサイコロを振る。これを繰り返し続け、制限時間内に札幌へと帰還しようというあまりに乱暴な企画ですが、次第に疲弊しボロボロになっていく出演陣の姿に思わず笑いが込み上げる「どうでしょう」きっての名物企画となっています。

行ったり来たりを繰り返し、泊まることも叶わない無間地獄のような旅ですが、勝手知ったる仲間同士ならそれすらも何処か楽しげ。

深夜バスに乗り続け、臀部の肉が崩れ落ちる悪夢に苛まれても、それでも旅を続ける意味不明なプロ根性に注目です!

母さぁ~ん!!僕は今日、どこに連れて行かれるんですかー!? 

水曜どうでしょう サイコロの旅 出典:https://www.amazon.co.jp/

「水曜どうでしょう」の大きな魅力の一つとして、大泉洋の騙され芸は一見の価値ありです。旅番組として様々な場所に旅に出る「水曜どうでしょう」ですが、そのほぼ全てにおいて彼は行き先すら告げられていないというのが常。

北海道の中でゆっくり旅でもしようと聞かされていたのに気付いたら海外に、なんて事も珍しくありません。ただでさえ無謀で行き当たりばったりな旅なのに、何も知らされていないまま連れ回される大泉洋の姿には、「流石にやりすぎなんじゃ・・・」と思う事もあるでしょう。ですが、それこそが大泉洋の真骨頂。

毎度の如く騙されているのに、何度やっても新鮮なリアクションを披露する彼の騙され芸に思わず、「いやぁ大泉君は変わらないなぁ」と、笑ってしまう事でしょう。

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何が面白いのか、ぶっちゃけよくわからない!「水曜どうでしょう」の不思議な魅力。

このコラムを書くにあたって、私は頭を抱えました。中高生時代にハマって以来、出演陣のやり取りを暗唱出来る程に繰り返し見た番組なのに、いざ「何が、どう面白いのか?」を説明しようとすると、

「アレ?特に言えることがないな」となってしまうのです。大好きで、何より面白いと感じている筈なのに、全く言語化の出来ない「どうでしょう」の面白さ。

ここからは、私なりに分析した「どうでしょう」の不思議な魅力についてお話したいと思います。

説その1「藤村の爆笑で誘い笑い」説

本作を一度でも見たことがある人ならば、ディレクター藤村の爆笑する声を簡単に脳内再生して頂ける事と思います。

カメラに映ることはないのに、常に弾けるような大爆笑を轟かせている藤村D。大泉がボヤけば藤村が爆笑し、鈴井がおどければ藤村が爆笑する。嬉野Dが怒れば藤村が爆笑し、ハプニングが起きても藤村が爆笑する。

いつ何時、何が起こっても、「水曜どうでしょう」には藤村Dの爆笑が響いているのです。

私は考えました、「もしかすると、水曜どうでしょうの面白さとは藤村Dの爆笑による誘い笑いなのではないか?」と。

そこで、このコラムを書くにあたって私はある検証を試みました。

「水曜どうでしょう」を音を消して見たのです。

画面に映るのは二人の男。鈴井と大泉の両名が何やらおどけながら会話をしている画が続きます。大泉の表情が豊かなので楽しげな画には見えますが、普段と同じような面白さはありませんでした。

次に、「水曜どうでしょう」の音声だけを聞いて見ました。無作為に選別したエピソードを再生し、耳にイヤホンをつけると、飛び込んでくるのはやはり藤村の大爆笑。

私はすぐに、自分の頬が綻んで行くのを感じました。画面で何が起こっているのかはわからないのに、ゲラゲラと笑い続ける藤村の声に、段々と自分が誘われていくのです。

 

「水曜どうでしょう」の番組内でも、大泉によって何度か「番組自体」が面白いのか、藤村の楽しそうな爆笑が面白いのか?という問い掛けがなされた事がありましたが、私は確信しました。全てではないにせよ、藤村の爆笑は「水曜どうでしょう」を支える大切なファクターだったのです。

説その2「究極の内輪バラエティー」説

昨今のテレビ番組への批判意見として、

「タレント同士が内輪ノリで盛り上がるばっかりで、視聴者にとって面白いものにはなっていない」という意見があります。私もそうした意見を持つ者の一人ですが、先の説を前提に「水曜どうでしょう」を分析すると、この番組こそ、内輪ネタの連続なのではないかと思うのです。

旅番組といっても、名物名所が映される事は極稀で、どこへ出向いても、どうでしょう班の面々がじゃれ合う姿が映されるばかりの「水曜どうでしょう」。なのに、不思議と面白い。内輪で盛り上がっているだけの筈なのに、その様子にこちらまで引き込まれてしまうのです。

この現象について、私はある仮説を立てました。

「水曜どうでしょう」の面白さとは、視聴者すらも内輪に巻き込んでしまう事にあるのではないか?という仮説です。

通常のバラエティ番組ならば、ディレクターやプロデューサーによって、とりわけ面白いと思われる部分だけを切り取って放送されますし、企画やトークなども決められた時間と枠組みの中で出演陣が各々おどけてみせる筈です。

ですが、「水曜どうでしょう」の異質な所は、「殆どなんでも垂れ流してしまう」事にあります。

名所や名物を用意してから内輪ネタでボケるという昨今のバラエティー番組とは違い、常にカメラが回され、通常であれば”オフショット”と呼ばれる映像までもを視聴者に見せてくるのです。

電車内で居眠りをする姿、深夜バスでうなされる姿、宿で泥酔する姿など、テレビに映さない筈の裏側であっても藤村Dが笑えた場面ならば何でも開けっぴろげに公開してしまう大胆な作り。

こうした公私を隔てない番組作りの良い意味での作為の無さがタレント達に”知っている人”感を与えているのではないかと思うのです。

関わりのない誰かの内輪ネタならば、我々視聴者にとっては何一つ面白くありません。

ですが、「水曜どうでしょう」はまるで、自分の友達や家族がバカな旅をしている様を見ているような親近感があるのです。

内輪ネタと言ってしまえばその通りでしょうが、我々、視聴者をその内輪に混ぜてくれる開かれた番組作りのスタンスが、まるで一緒にバカな旅をして、一緒に爆笑しているような感覚を与えているのだと思います。

「水曜どうでしょう」とは、すべての視聴者を内輪に引きずりこんでしまう懐の深さを持った、究極の内輪バラエティー番組なのです。

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(2019年7月現在の情報です。詳しい情報は公式サイトでご確認ください。)